「ここではない、どこか」
友人に社会学の話を聞いてあたしの人生には今の今まで社会学の言葉は皆無だったなぁと思った。それから本屋に寄る度に社会学のコーナーに寄るようになった。名前を聞いたことがある学者は何名かいる。橋爪大三郎、古市憲寿、上野千鶴子。本を持っているのは橋爪大三郎だけ。彼は宗教について多くの著書を出していて、だからそれであたしも持っている。あと知人(といっても本当に少しだけ)のお父さんでもある内田樹。高校の時に担任の先生に薦められた『寝ながら学べる構造主義』。これはあまりにも理論立てが苦手だったので、良い本はないかと聞いて紹介してもらった。でも未読。最近ちょっと読み始めた。
社会学を意識し始めてから知ったのは小室直樹。こんな大御所を知らないなんてあたしは本当に無知。そしてそれでも生きていける。彼の著作がはたして読めるのかしら。そして宮台真司。この人は少しだけ聞いたことがあった。サブカルの本を書いているから。
いま都立中央図書館に来ていて戯曲を書かなければいけないのにやっぱり社会学の棚を覗いてしまう。いつもは人文のコーナーがある3階にいるのだけれど、はじめて社会学の本がある2階にきた。そこでは社会学の中でもたくさんのジャンルに分かれていて、どこに何があるのかわからない。具体的なものだと労働とか性についてとか家庭問題とか。でもどれもタイトルを読むだけでげんなりするものばかり。そこには希望なんてなくって、重ーい現実問題があるばかり。文学の棚と違ってワクワク感なんて何も無い。こんなにも現実はつまらなくてシビアで希望がないのだ。
小室直樹の本も、宮台真司の本も見つからないまま、古市憲寿の「古市くん、社会学を直しなさい!!」を見つける。そうそう、こういう入門的なわかりやすい本が読みたかったの。
手にとると色んな人との対談集。時間もないから知っている人とのところだけ読もうと思った。橋爪大三郎、宮台真司、上野千鶴子。でもなんと読破できたのは橋爪大三郎のページだけ!だって後は専門用語が多いんだもの。その用語の意味もわからず、その先が進めない。
ただ古市憲寿がそれぞれを紹介しているところは面白くて、特に上野千鶴子の言葉はとっても鋭かった。
結婚とは「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって唯一人の異性に譲渡する契約」。
祈りとは「無力な者の、最後の行為。行為とすら、呼べないほどの、無力な呟き」。
本当にその通りです。特に前者ね。これはあたしも身をもって体験している日々の不思議だけど。
でも、だから、楽な時もあるのだけれどね。
祈りについては、サリンジャーの「フラニーとゾーイ」の中の大きなテーマでもあるから、そんな風に切り捨てないで!と思ってしまうけど。だってみんながみんなあなたみたいに強くないわけでしょう。それならそういう行為くらいとっておいてくれてもいいじゃない。なんて、擁護してしまうあたしが一番良くないんだろうな。最近のあたしは、行為も祈りも何もしていない。
さて。唯一読破できた橋爪大三郎との対談を読んでのメモ。
飼い猫と野良猫。
社会学者が本職ではないけれど強烈な才能を持って生まれてしまった人。
山本七平。小室直樹。小林秀雄。
・社会学者は境界を越境する。
社会学は違う学問から刺激、発見を受け学ぶもの。
・天才の仕事から学ぶもの。
シャドーボクシングをするのではなく、彼が向き合っていたものと戦う。
彼らが負けたところと代わりに戦う、やり残した課題を受け取る。
・言語ゲームで宗教を分析する
宗教は人間の思考と行動についての普遍的なモノサシ。それを当てると、日本のゆがみや、ひずみが測定できる。
橋爪大三郎の読みたい本。
「面白くて眠れなくなる社会学」「世界がわかる宗教社会学入門」。
また宮台真司の社会学への説明。
「非自然的なー自然的ではないー前提の、総体を研究する学問」。
太陽が東から昇るとか、重力が存在するといった「自然的な前提」じゃなく、国籍や権力など、あくまで自然的なない事象を対象とする学問。
今のを書いていたら宮台真司の対談も面白そうで今、読破した。とても面白かった。
だから、メモ。
・一般理論をつくろうとした最後の世代
1960年代70年代は映画や演劇といった表現一般に関わる熱気や生産性がとても高かった。
これには2つの挫折があって、1つは豊かになったゆえの挫折。豊かになって中産階級が膨れれば幸せになると思っていたけれどなれなかった。2つ目は60年代後半の学園紛争。69年の段階で挫折する。「ここではない、どこか」が憧憬されていたけれどこれも期待外れだった。
挫折する程度には、幸せになることやオルタナティブに生きることに対する期待が強かった。その強い意志や欲望が、表現や学問的な営みとして表れた。
・ハッタリの効用
橋爪大三郎の研究会に出ていた時の会話。
「もう全然わからないんですけどどうしたらいいですか?」
「二つあります。一つは、我慢して出続ける。もう一つは、わかったふりをする。」
わかったふりをすると絶対に突っ込まれる、そうすると学び直す。真剣にハッタリを続けて行けば、そのうちハッタリじゃなくなる。
・・・・・・
二つの挫折から思うこと。
その頃は幸せになれる、という希望と期待があったけど、今はそれすらも諦めている世の中だと思う。
「ここではない、どこか」という言葉はあたしもすごく好きでよく思うけれど、「ここではない、どこか」じゃなくて「ここ」で生きているなら「ここ」を変えて生きていかなければならない。