縁切り榎と東京大神宮へ。

いざ。黴に錆を書こうと思っても何処の時代を書いたらいいのかわからない。順番になってなくってもいいか。今1番書きたいところ。でもそれはやっぱり今なのかもしれないなあ。

今は何度目かのモラトリアム期間だと思います。でも11月に控えた芝居があってそれに目下、忙しくなるからそうでもないのかな。そうすると今年の1月から先月の7月まではモラトリアムでした。

といってもスナック雨があったりイベントもいくつかあったし何かしていたことはしていたのだけど。今年の頭を思い出すと、何度も地獄は来るんだなと実感した、かなりシビアな冬でした。あたしは何度もこういう時期にはあっていて、でもそれは最大に厳しいのは26くらいまでかな。口に出していうと軽くなって仕方ないけれど、あぁ生きていくって本当にしんどい、ってそう思って眠れない夜もたくさんあったり、とにかく息をするのさえ苦痛というか、そういうヒビはたくさんありました。でも大人になると段々と自分の守り方や世間との付き合い方、そして理想の諦め方を知り、だいぶ生きやすくなります。まあ大きいのは頼れる友人が増えるということですかね。確固たる理解者であり相談者が増えるということで、その存在にかなり支えられます。

でもでは何故今年の頭がしんどかったのかというと、それは小説『春と霞』(文藝誌『東京荒野』第9号掲載)にも書いたけど、鈍器殴られたような衝撃。いや鋭利な刃で刺された痛み、だな。があったから。あたしのこの生温い自分への防御が如何に良くなかったのか、それを知ってそれを辞めたから。皮を剥いで肉のまま生きていこうと思ったから。まぁそれも相まってプライベートのごたごたですね。これが本当にきつかった。トップは3月かなー。この1ヶ月は本当しんどかったな。眠れないし、考えることはすべてマイナスで、あぁ地獄は何度でも来る、って思ったし、この人生にある意味、結論を出して絶望の淵にいました。そこから抜け出した術は、『春と霞』に書いてあります。

『春と霞』も『春と修羅』をあやかりたかったの。

『春と修羅』
こんな素晴らしいタイトルはないっていうくらい好きです。宮沢賢治すごい。

昨日は東京大神宮へ行きました。何に特に効力がある神社なのかは有名なのでお分かりだと思うのですが、もう神頼みしかないのだと思ったのです。あたしには「かっこつける理由」が思いつかないのです。やることはやったつもりです。そして来るところまで来たと。そう思うのです。もうそしたら神様にすがるしかありません。そう決心したら、東京大神宮へ行く前には縁切り神社へ行った方がいいと、とあるアラコさんの漫画で読みまして。そして行ってきました。縁切り榎へ。でもここへは正直、取材も兼ねて!という名目があったからで、本当は縁を切りたいなんてサラサラ思ってないのです。でもそれがあたしの悪いところだと。だから自分の惰性や弱い部分もひっくるめて、縁を切ろうと。でもあたしほど軽い気持ちで行った人はいないだろうな。それは絵馬を見ればわかります。みんな本気なんだもの。まあこのことは近く記事にさせていただきます。(ちゃんと書けよ!あたし。)

そして晴れて東京大神宮へ行けることになったこの身で、九段下から東京大神宮へ。
いやーお恥ずかしながらあたくし六本木にある出雲神社の分祀様が東京大神宮だと思ってました。だから調べたら九段下で、ん?ってなりました。そうなのね、東京大神宮は別物なのね。そこでお守りも買って(これが可愛い鈴蘭のおまもり)、絵馬も書いて、おみくじもひいて・・・。ちなみにあたしおみくじは根性だと思っています。だから3回ひきました。吉、中吉、末吉。本来なら大吉をひくまでやるのですが100円玉も切れたし3度目の正直だしと、ここでやめといて、そのかわりそれぞれの良い部分だけ真に受けました。パズルのように組み合わされば出来る理想の相手。それを胸にしかと抱いて、おみくじを結び、絵馬に願いを書く。それはもうストレートに。でもね、大事な字をちょっと間違えてしまって・・・。反省しましたがそれもご愛敬かと!!
どうか神様、本当にどうぞ宜しくお願い致します。

と。あらら。本当は黴と錆のなにかを書きたかったけど。今日はここまで。
今夜は歌舞伎役者の方に日舞を習います。そして明日からは山梨のおばあちゃんちへ!
そこで原稿書かなきゃだから泣いちゃうけど!そして山梨は暑いぞぉ。

DG1-PITVYAEisu-

あたしの本気。