私には私の地獄がある

この秀逸なタイトルは宇垣美里さんの言葉。
Twitterアカウント名をこれにしてる人がいて、宇垣さんの言葉と知り、雷に打たれたようでした。

私には私の地獄がある。

なんて的確で説得力のある言葉なんだろう。
才色兼備の彼女はきっと、ずっと周りから幸せだと思われていて、そして幸せだとされてきて、でも彼女のことは彼女にしかわからない。
彼女にも彼女の地獄がある。

そりゃそうだ。地獄がない人生なんてあるわけない。

blogのタイトルをね、思いつかなくて、結局blog自体を書かないこともあるわけです。
前のココログでは無題でも大丈夫だったんだけど、こっちはそうじゃないと投稿できなくて。トップ写真もそう。なくてもNO IMAGE表記になるだけだからそれでもいいんだけど。味気ないじゃない?

だからblogのタイトルになりそうな言葉をメモっている時もありました。
この言葉はまさにそう。
というか、この言葉で何か書きたかった。

私には私の地獄がある。

きっと私も周りに順風満帆に思われているんだろうな。いやそこまでいかなくても充実してて、楽しく過ごしてて。
うん、それはそうなんだけど、順風満帆じゃ全然なくて。
恵まれているとは思う。うん、めちゃめちゃ。家にも仕事にも友人にも環境にも。

でも、私は人生最大の夢2つを叶えてないから。
それさえ叶えられればなんでもよかったのに。
でも、もう諦めました。
これを受け止められるには時間がかかりましたが。

そう!この前のスナック雨9周年には片思いの君が来てくれまして、めちゃんこ嬉しかった。
雨に来てくれたのは2回目。
信じられなくて、舞い上がっちゃった。
あー、運、使い果たしちゃったなって思った。
心ここにあらずで楽しい時間を過ごしたんだけど、その夜は大変でした。
引き換えとばかりにどうしようもなく切なくなっちゃって。
なんでダメだったんだろう……、みたいな。
久しぶりにめちゃめちゃ情緒不安定になってしまい、隣で寝ていたパートナーに「助けて」とすがってしまったよ。
めちゃメンヘラぽいね、とそのあとに2人で笑ったけれど、本当にメンヘラだった時は、こんなんばっかだった。
ボーイフレンドと寝てても切なくて死にそうで、助けてって心の中で呟きながら抱きついてた。
そんな甘酸っぱい、いや、苦々しい日々を思い出した。

そいえば一昨日くらい片思いの君の夢を見たよ。
私は会いたい人の夢ばかりみる。
一人は片思いの君、そしてもう一人は今はそんなに会えてない古くからの友人。
どちらにも夢の中で会えてるからいっか、となる。
ただ片思いの君は、夢では必ずいい雰囲気で、触り合える関係性で、その感触があまりにも柔らかいのが、目覚めて辛くなる。

昨日はDの夢を見た。
あんまり彼の夢は見ないんだけどね。
ライブハウスに行ったら、さっき話した古い友人とDもそれぞれ出演者でいて、催し事自体はモノマネ大会だったんだけど、各出演者のネタが実は繋がっていてストーリーになっているという、大きな目で見たら演劇のようなもので、それは面白かったな。
Dとは夢の中でも久々の再会で、彼の演劇論を聞いた、そんなお話。

noteにいづれ顛末を書きたい、親友のような恋人のような彼は、意外にも夢に出てこない。
私も踏ん切りをつけたからかな。
決定的にもう今世では関われないと思ったからかも。

えーと、なんだっけ。
今回はそう、私には私の地獄がある、を書きたかった。
私にも地獄はもちろんある。
でも昔ほど感じなくなったかな。

歳をとるって、生き続けるっていいよね。
どんどん楽になっていく。
それは生活というより精神的にね。
めちゃめちゃメンヘラで厨二病だった私も、精神が落ち着いた今はこんなにも軽やかに生きている。
希死念慮とか自傷癖がないとこんなにも生きやすいのね。
これこそ、周りのおかげ。

私には私の地獄があるように、私には私の天国があって。
それが例えばヴァルハラ宮殿だったり。まあそこから地獄がはじまったわけでもあるのだけど。

ココログも読み返してると、ちょうど最後の1年がヴァルハラ宮殿で。
私の20代終わりと30代はじまりはあそこだった。

やっぱり書き留めておくのはいい。
その時の自分と出会えるというか、その時の空気も感じることができる。

だから些細なことでも、一言でもいいから、私はここに紡いでいく。