時々無性 時々億劫

S__46497798

9月に入ったら毎日書こうと思っていたのに時間にかまけて全く書けず、9月も真ん中を過ぎてしまいました。時々無性に書きたくなる時はあるのだけど、すぐに億劫になってしまったり、駄目な子です。

フェノミナは知らなくて、つい先日そのサウンドトラックの美しさに心を奪われたのだけど、見てないのです。見たい映画はたくさんあるの。読みたい本も。映画と本でいえばキネマ旬報よりでている「厭な映画」。

ー厭な時代に厭な映画をー

このキャッチがとても好きで、はははんと思いつつも、覗いたくらい。きちんと読みたい。
そうね、厭な時代に厭な映画を、は間違ってないものね。そうするとお届けするのも、厭な演劇なのかもしれないな。
でも、きっと、そうじゃなくって、厭な時代だからこそ、厭じゃなくなる映画を。これは矛盾?

実はここのページに来なかった理由はあって。逃げてたんだと思う。
あたしはよく逃げる。特に芝居が終わったあと。この時だけはいいよーって。それで逃げるの、逃げて、逃げて、逃げて、地球を一回りして、違う角度から戻ってくる。いつもそうしてる。

世の中には、世界には、たくさんの扉があって。いくつ開けても扉はあって、無性に開けたくなくなって、扉と扉の間にしゃがみこむ時もある、きっとあたしの2010年含む半年間はそうだったな。
そしてそういう時は一度じゃないと思うし、逆に座り込むのを楽しんでもいいかもしれない。

進む爽快感よりも座る停滞感を。

そうね、やっぱりこのページを毎日書けるようになろうと思います。書くのは楽しい。

最近で言うとね、昨日膜がかかったあることから、はっと気づいて、自分の欲望ばかりを押し通していることに気づきました。すぐそうなるの。自分というフィルターを通しまくってしまう。そうじゃなくて相手のフィルターを通さないと。いや、自分のフィルターがあるのは仕方ないのだけどね。そこがまた愛しいことでもあるわけだし。

でもそうなると最初の決意と違うのでは…?と気づいたのです。そうしてそれに気づいて、自分のフィルターの位置変えたらすごく楽になった。もやもや感とか大分薄れて、海のようなそんな気持ち。それでもまだ色々霞はあるけど。

まぁまずは二十四の瞳ちゃんを覚えないといけないのです。
そして出来てなかった色々な告知を続けてします。