かもめ。

かもめ。

最初に読んだのはいつだったかな。忘れてしまったけど、相当前だったと思う。
最初に見たのも覚えてないのだけど、きちんと覚えているのは、2008年の赤坂だったと思う。

あの頃あたしは大失恋したばっかりで、全てに希望を見いだせなかった。だからニーナにではなくマーシャにばかり共感していた。喪服を着ているマーシャ。好きな人がいるけれど妥協して結婚したマーシャ。それでも何をしても救われない。

今回、改めて読み返して、あぁあたしはニーナよりもマーシャが近かったんだなと思い出した。あの時マーシャを演じていたのは小島聖。力のある魅力的な女優だと思う。

もしかもめをやるのなら、あたしもマーシャを演じたいなと思う。今だからまた思うのかな。若かったらニーナを演じたかったかな。4幕のニーナになら確かに共感はするし、近い気もするけれど、でもそれでもあたしはニーナとは違うなと思う。どんなに楽屋の女優Bが永遠の役をニーナにおいたって、あたしの永遠の役はニーナじゃない。

そりゃ18とかの時はまだニーナの思想に近かったかもしれない。全てが輝いてみえて、未来が楽しみで仕方なくて、われるばかりの名声を!あぁクラクラする!!なんて思ったかもしれない。けど。違うな。きっと根本で違うんだと思う。あたしはそんなに希望を持って10代を生きてこなかった。大人になれば楽しくなるなんて思ってなかった。冷え切った子ども時代から思春期を過ごして、その時の救いは決して大人の自分ではなかったもの。もっとはやくわかっていたらきっと違っていたんだろうけど。

だからニーナの気持ちは100%わからない。理解はするけど共感はしない。それよりも喪服のマーシャを。彼女がしっくり来るの。

そしてトレープレフ。彼の気持ちもとてもわかる。彼の行動も当時のあたしには痛烈だった。まさにその状況になりそうで怖くって。あぁそうだ、だからあたしはかもめを避けていたのだ。あたしのテーマで終わる。だから、どうしても、遠ざけてしまう。でも前より大分大丈夫になったのよ。そう。トレープレフの気持ちは多くの人も共感するんじゃないかしら。

トリゴーリンはきっとチェーホフの本音を語ってるんだと思う。書いても書いても終わらない地獄。そして全てをネタにしようと考えている虚しさ。大量の作品を生み出したチェーホフの本音。トリゴーリンはチェーホフ。
スタニスラフスキーがトリゴーリンを演じていたのね。すごい。

作家は何かを投影する。その作品に。だからトリゴーリンの存在はチェーホフにとっては鏡だったんだと思う。

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かもめじゃなくてアヒル。