令和4年に愛を込めて
令和4年になり25日が過ぎました。今日は両親の結婚記念日です。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
いつから書いてないのだろうかと思ったら中銀カプセルタワービルを退去する10月末から書いてなくて吃驚しました。
そうですね、あれから色々ありました。大きかったのは父とのお別れです。
父については親しい人にはよく話していたけれど、今の私を形成した大部分は父の影響です。とにかく漫画とSFが大好きだった父はいわゆるオタクで、今みたいなサブカルという言葉もない頃から生粋のサブカルオタクでした。
父に教えてもらった漫画は数知れず。大きいところでいうと、諸星大二郎、萩尾望都、吾妻ひでお、和田慎二、竹宮惠子、竹本泉、新谷かおる、佐伯かよの、手塚治虫、大和和紀、こんなとこでしょうか…。ここをメインにその他多くの漫画を共有させてもらいました。最近では、速水螺旋人、道満晴明とかかな。
父は実に寛大で、私が選んだ道はほぼ何も言わずに見守ってくれました。唯一覚えてるのはドイツ留学行く際に、旧東ドイツは駄目と言ったことくらいかな。
高校の頃に、耳にピアスをバンバン開けまくっている私を見かねて、兄が父に「いいの?」と告げ口したところ、「お前古いなぁ」の一言。兄は言葉を失ってました。まぁ兄が開けてたら、男なのにと怒ったらしいのですが。
あとは劇団唐組をやめてドイツに行きたいと言った時、「気をつけて」の一言。理由も何も聞かずにただそれだけなのは本当にかっこよかった。あぁ。こんなこと書いてたら会いたくなっちゃうね。
とにかくいろんなことに博識で、機械に詳しく、無口だけれど世話好きで、”父がいれば大丈夫”と親戚のみならず会社でも頼りになりまくる存在の父。自慢だし、尊敬しかありません。兄と私の高い学費を出し続けてくれたし(特に兄ね!)、家も車も購入し(自分が大人になるとすごいなと思う)、海外にも詳しくよく母と海外旅行に行ってましたね。英語も仕事で使っていたということで堪能で、ドイツ留学の時は2回とも父頼りでした。おい。笑
まぁ難を言えばコミュ障なところ。笑 大人になってからは喋るようになったけど、子供の頃はほぼ喋らず、怒る時も手をあげるし、なかなか気難しかったですね。それも懐かしい思い出だけど。
父との会話の9割は確実に漫画の話でしょう。先ほどもいろいろあげたけど、数年前に萩尾望都と吾妻ひでおのトークイベントに一緒に行ったのは本当に冥土の土産。今もっとも寂しいのは、気になる漫画関連の新刊やニュースが出ると、まっさきに父へLINEを送っていたのに、もうかなわないこと。これは一生そう思っちゃうだろうな。和田慎二のアートワークが出るなんて、一番に父に報告したかったよ! まぁ父の方が先に知ってそうだけどね。真っ先にお供えしようと思います。
中銀カプセルタワービルに住むことも母はドン引きだったけど、父は「貴重な体験だから」と一言だけで、入居時期が伸びに伸びていることも何も言いませんでした。もっと早く切り上げて一緒にいればよかったな、という後悔が実は多いにあります。でも親戚に「千絵が帰ってくるの待ってたんだよ」って言ってもらえたから、そう思ってる。
あれ。新年のご挨拶程度のはずが父の話になっているけど、まぁいいか。
先々週に伯父も亡くなり、ここ数年親しい人が続けて逝ってしまいました。2年前かな、一緒に芝居を作っていた友人が亡くなった時に、あぁ今世で会えないこともあるんだな、と。そして「次に会おう」って思ったのです。だから父にも伯父にもそう思っている。おばあちゃんにも辻さんにも多恵ちゃんにも美少女さんにも。また会おうねって。いつかそちらに行くのだから。
あたしはパラワルワールド思想だったんだけど、輪廻思想もあり、だってそうじゃないと寂しすぎるじゃない。それに父に会えると思えば死ぬのも怖くないでしょう。先週土曜の叔父の葬儀では「今世、おつかれさま」って送りました。
きっと今世会わない人なんてたくさんいる。会わなくていいって思ってる人もたくさんいる。でもきっと運命的に会うべく人は会うのよ。そういう意味では、私が唯一”姉ちゃん”と呼んでいる唐組の先輩に再会しました。
強烈な個性の持ち主である彼女とはもう長くてね、仲良い時は朝から晩までLINEをしてるくらいなのに、離れると途端にOになる。そんな極端な私たちがここ数年断絶状態でした。というのも、これは私の心を壊してた事件とは別で、その前くらいかな、まあちょっとすれ違いというか、ここにはきちんと理由があるのだけど、それにより断絶してたのです。だから姉ちゃんとは今世もう会わないと思ったの。それも仕方ないかなというか。
そうしたらね、父のことをFacebookに載せた時に、すぐにメッセージが来て……! 数日後にはスナック雨に来てくれました。これは嬉しかったなぁ。それから関係が復活し、ほぼ毎日LINEしてます。笑 会ってもいるよ! 彼女とはね、あることをはじめようと計画中。父が繋げてくれたのだなぁとしみじみします。お父さん有難う!! そしてまさに「岡崎に捧ぐ」の山本さんと岡崎さんと同じ。
今日1月25日はね、両親の結婚記念日なのだけど、うちの両親は本当に仲が良くて、喧嘩したところは見たことありません。よく手を繋いで出かけてたし、どこに行くのも一緒。子供の頃は両親の間に川の字に寝るのではなく、父・母・子供たちの順で寝てました。笑 名前で呼び合ってるところも好きで、理想の夫婦です。
父が逝ってしまうことで、一番の心配はもちろん母でした。こんな仲良い夫婦が片方無くしてしまうのは堪え難いことではないかと。覚悟はしてたこととはいえ、今でも母は父の名前を呼んでいます。「まだ入院している気がする」と時々言うので、その度に「それでいいよ」と私は言います。うん、いいよ。ずっと入院していて、いつか戻ってくると思ってれば。それにまた絶対会えるから! それまでは父に似てる私や、兄や甥っ子を見ればいいよ。
ときたまは、逝ってしまった寂しさよりも現世で会えて一緒にいた時間への感謝を大事にすればいいのに、と思うけど、長年連れ添った最愛の伴侶が先に逝ってしまった寂しさは、同じ経験をしたことがない私には計り知れないからね。
それでも父と母の逝く順番が逆じゃなくてよかったと心底思っている。母のことは兄家族と私で全力で支えるし、大丈夫だから、見守っていてね、お父さん。
なんかしんみりしてしまいましたね。
今年こそ、このblogをはじめnoteやら何やら文筆業を頑張ります。
ビニヰルテアタアについてもね。ここについても思っていること書きたいな。
私は本当に元気になったし(精神的にね)、たぶんそろそろ色々逃げてきたことに向き合わなきゃいけないんだろうなーって思うのです。だって3年過ぎたもの。あの芝居から。きっと、もう大丈夫よ。
それにたくさんの人に愛をもらって私は本当に幸せものです。