3月11日のこと。続

3月11日の記憶をとどめておきたいと毎年思う。
でも毎年その日にならなければそう思わないほど、あたしにとって震災は遠いことになってしまっている。
よくないことだと思う。当事者にとってみたら薄情だと思う。
でもそれが現実。

5年前、すごかったのはあの日ではなく、その後だった。
節電、輪電、停電問題。
父親が「それどことじゃないことが起こってる」と呟いた。
テレビを見ると福島原発が映っていた。
福島原発が大変なことになっている。

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「月の子」という漫画があって、最初に読んだのは中学生だったと思う。
内容は全て把握できないまでもチェルノブイリについて知った。
自分の名前に少し似ているチェルノブイリはそれからあたしの頭の片隅にあった。
ニガヨモギ。

チェルノブイリよりも深刻なことが福島で起きている。

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地震から数日経った時に、金券屋が1週間営業を見合わせた。
その頃、電気問題もあって多くの娯楽施設などは営業を停止していた。

1週間何もすることがなくなったあたしはネットで今までの原子力事故について調べた。
チェルノブイリ、東海村、スリーマイル・・・。
どれを読んでも悲惨すぎた。特にチェルノブイリと東海村の衝撃は大きかった。

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福島原発はいまどうなっているか正直わからない、知らない。
そしてきっと知りたくないんだと思う。
現実から逃げている。
きっと受け止められない事実が起こっているから。
そしてそれをどうしようもできないから。

福島原発だけでなく東北復興だって現状を知らない。
力になりたいとは思う。でも本気で動いてないから、それを証明できない。

正直、自分たちの生活で精一杯になっている。
だからせめて経済をまわしたいと思っていて、ささやかな募金をする。
そして東北に行って実際にお金をおとしたいと思う。
だけど何処かで福島には行きたくないと思っているのも事実。
汚染するのは怖い。
いつか子どもを産みたいと思っている身としては、やっぱり守らなくちゃと考えてしまう。
それってやっぱりずるくて、偽善なのかな?
でもどうすればいいかわからない。

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あたしは先日、ひどい言葉を冗談で使った。
原因は語彙力の無さからだった。
まわりが一瞬止まった気がした。けれどその場は良かった。
みんなもお茶をにごすように言葉を重ねて笑った。
けれど翌日違うメンバーの前で言ったときに問題になった。
批判されたわけではなく、その言葉をどういう意味でみんな使っているのだろうと。
慌てて自分の過ちに気づき、ごめんなさいと謝った。
その言葉を冗談でも使うのは不適切だと。
その言葉で傷ついている人はたくさんいる。
部外者だからってそれを比喩で使うのは間違っている。

自分もあの震災にあったけれど、きっと当事者ではないと思う。
当事者を語ってはいけないと思う。

日々忘れていく、思い出さない日常で。
311が来た時だけ、思いを馳せるなんて。

でもそれでも何もない同じ日常だと思って過ごすことはできない。
だからあたしはこういう風に書くし、偽善だろうと、薄情だろうと、
311と生きていきたいと思う。
風化したくないと、忘れたくないと、いつだって思う。
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