魂削って

毎度恒例のこの作業のはじまりです。先週体調を崩してしまったのでちょっと遅めのスタート、大丈夫かな。でも種を蒔けば花は咲くから。逆を言えば種を蒔かないと花は咲かないのです。

でもやっぱりこの作業はとても苦手。毎度嫌になる。これをしなくてもいいようになりたいな、と思いながら、でもこれをしなければはじまらない。
そしていつもここで迷ってしまう。これをまたするべきなのかって。でも答えは出ているの。魂削ってでもやるべき。逆に守るべき魂はあるの? 守ってほわほわぬくぬくとしている魂なんてつまらない。削って荒んで傷ついて。だから色々が楽しいんでしょう。

止まっちゃいけないなって思います。来年やりたいと思っていたことが、どうしようかなと迷い始めていて。いっそこのまま勢いでビニヰル次回公演を決めちゃいたい。久しぶりのあたしの新作。眼球スイミングから実に2年ぶり。好き勝手やって、ビニールのテントに水撒いたりしたいの。静かな古典演劇も大好きだけどやっぱり破天荒なアングラ、というか現代劇というか…、見たいものが見たいの。見たことがないものを見たいに応えたいの。そういうものを作りたいの。

きっと萩尾望都もそうだったんじゃないかしら。手塚治虫の新撰組に衝撃を受けて、この衝撃を他の誰かに伝えなくっちゃって。あたしもそんな気分。今まで衝撃・感銘を受けてきたものをひっくるめて、あたしの中で混ぜて練って爆発させたいの。

いつか眼球スイミングを観た猫道くんがくれた感想。
「キキララと諸星大二郎が混ざった世界」。
いままでいただいた感想の中で5本指に入るくらい嬉しい言葉だったな。猫くん有難う。
あたしのすべてを、生き様を、肯定してもらったような。そんな気分。

肯定プリンセス。
肯定がタイトルについた作品作りたいな。

いつか銭湯でも芝居がしたい。

思ったり書いたり言ったりしてるとと叶うことっていっぱいあります。それを実感した10月15日。なのでやっぱりあたしは強く望んで行こうと思う。この世知辛い世の中でも。言葉や思いが電波に乗って届く時代だもの。そしたらあたし自身だって夜空を駆け抜けられると思う。

水滴チューリップも是非芝居でやりたい。

まずは楽屋。あと16日で幕が上がります。
去年とはまた一味も二味も違った仕上がりになっていく。
はじめてビニヰルで再演というものを経験するので、いろいろと発見することが多いです。

体調も良くはなってきたものの、咳はひどくなって、でも声が戻ってきたから良しとする。
どうぞみんな楽屋を見に来てね。 そういえば自由学園明日館も、いつかここで芝居したいと思ってたのが叶ったのだから、やっぱり望むことは大事。

DNT662NVwAACgEg

大阪淀川の河原での一枚。パリコレを意識。