青い日々

ちょっとひょんなことで前のblogを読み返してみたのだけど、圧倒的に面白いね。あっちの方が。なんか書きたいこと書いているかんじ。きっとあのblogの形状も良かったんだと思う。今回みたいにひとつひとつの記事で区切られてないで、がーっとスクロールしていけば読めるかんじ。あと画像を載せなくてもよかったのも。あ、今は今で気に入ってるからね♡

んとね、あっちはね、本当に書きたいことをそのまま書いていて。思いの丈をぶつけてる。自分にしかわかんないように伏せていることもあるけど。えとね、それは半分以上は今のあたしにもわかりません。笑

「言葉に殴られて、言葉に抱きしめられる」
って素敵な文があったけど、何をされたのかなあって。
あ!今思い出した!旧友が酔った勢いで暴言吐いたやつだ。あーむかつくー。
でもいいや。なんか越えた。越えるしかない。

どんどん読み返して読んじゃう。ちょうどヴァルハラの時だったから、まざまざとあの頃を思い出す。やっぱりヴァルハラがあった時は幸せだったな。あの頃に戻りたいと思う。ヴァルハラはあたしの正義。あたしのユートピア。
そうか、あそこがあたしのユートピアだったのか。今気づいた。

そんなことを伝えたくても、あたしは女神のままでいなければいけません。女神がただの平凡な女になってはいけないのです。そうじゃないと可門良が惚れてはくれないのです。

そう、また別の話だとね。あたしはある人のミューズになりたかったのです。でも本当はミューズじゃなくてナイトだったのかも。精一杯、その人のナイトになりたいの。

「愛されることは自信になる。」
というのはあたしが「二十四の瞳ちゃん」というミュージカルをやり終えた頃に来たモテ期で実感したことなのだけど、そう、あたしがあの人を愛することで、あの人の自信になればいいなってそう思うのです。

あーなんてかっこいいことを言えるようになったのだろう、あたしは。旧blogのあたしに見せてやりたい。

そう。そうしてね、今思っていること。それは「仕合わせよりも愉しくありたい」ということかな。

去年のあたしはね、一言でいうと「一寸先は光」だった。一寸先は闇、ではなくて、光でもあるのよ、って。でも今年はうってかわって「地獄は何度でもくる」。そう。地獄は何度でも来るのです。でもそうしたら光も何度だって来るのよ。

逃げて逃げて逃げ回って。逃げたい時期は誰にでもある。動物は本能で逃げるじゃない。だから人間だって逃げていいのよ。逃げて逃げて逃げ回れば、きっと地球を一周して戻ってこれちゃうから、そうすれば逃げたものも違って感じるかもしれない。そこでまた嫌だったら、また逃げればいい。何度も何度でも。いくつだって扉はあるし、扉を開けられない時は、休めばいい。しゃがんで地面でも観察すればいい。きっとそこの砂利の中に、見たことのない石を発見するから。

書きたいことをつらつらと続けて。
このblogももうすぐ4年目。2015年の4月からだから、来年だと4年目ね。
4年はあたしにとってけっこう節目の年なのです。

そーいえば昨日は飯田華子のお誕生日。ぞろ目おめでとう。
そして泉鏡花のお誕生日でもあるのね。羨ましい。