千絵という名前で
あたしは自分の名前が好きです。千絵というこの名前がこの上なく好き。母から1文字もらっていたり、響きだったり、千の糸と会うという漢字だったり、いろんな理由があいまって。それとともに、チェ・ゲバラやニーチェ、チェルノブイリに組み込まれているのも運命を感じます。
よくね、「親がゲバラ好きだから千絵という名前なんです」という嘘を言うと、ある年代以上の男性が大喜びします。本当にそうだったらよかったけれど、きっとゲバラ好きだったらわざわざチエなんてつけないと思う。でもあたしはゲバラが好き。
ある時、チエという友人が別にいるっていう子に「是非あたしの方はゲバラと呼んで」と言ったけど呼んでくれやしない。いつかゲバラと呼んでくれる友人が現れますように。
自分の名前が好きだから、漢字を間違えられるとかなり憤ります。一番多い間違いは千恵ですね。千の恵じゃないのよ。千の絵なの。いつかそれがとてもよく似合うって言ってくれた友人がいて嬉しかったなー。
あとよく間違えられるのはチエ野村。千絵ノムラだからね。チエ野村はダサすぎるでしょ。ここんとこにも矜持があります。
昨夜ね、知人に、あたしみたいに自発的に文章を書きたがる人は珍しいと言われました。ふむ、そうなのかな。確かにライターとして原稿を書くのはすごく億劫なんだけど、こういうblogとかは、あー書きたい! って衝動に駆られる時はよくあります。まぁそうじゃないと書かないよね。
でも最近のを見返すと、そこそこつまんなくて吃驚。前のblogは文章とか好きだったんだけどな。ロマンチストだったよね。ただ上手い文章を書きたいためでもないし、その時の捌け口だったり日記だったり記録だったりする時もあるので大目に見よう。そうじゃないと書かなくなっちゃうしね。
「東京荒野」という同人文芸誌にちょこちょこ寄稿させてもらってるけど、その中で定期的に見返している文章があります。1番は「躑躅」かな。最新というのもあるけれど、ちょうど読みやすい長さと、泡になったあたしと再生してしまうあたしの狭間がよく表れててそれも好きです。
読みやすさで言ったら「東京とアタシ」もそう。初期の頃のコラムで、それまでのあたしの恋愛がさくっとまとめられています。懐かしいね。今はいろいろと達観した気持ちで読める。築地を食べれる時は来るのでしょうか。
この「東京とアタシ」は、東京でしか恋愛をしたことがないのもあり、また「東京荒野」という文芸誌名にあやかってつけたんだけど、東京とつく名前で活動している彼には、自分のことを意識したんだと言われました。まったくしてねーよってかんじだったけど、彼とのこともちょびっと書いてるし、まあ当時は周りからもそう思われてたんだろうなー。
そして何よりも好きなのは「水滴チューリップ」ですね。この小説は何度も言ってますが、大好きです。好きすぎて朗読劇したり、ラブホで読み合わせしたりなんかもしてました。理由については「躑躅」に書いたので割愛。またこんな文章が書けますように。