
奈落で踊る
9月になりました。9月は歴代の男性たちの誕生日が目白押しです。
noteに奈落について書きました。
「わたしたちは奈落の底で出番を待っている」
あなたとわたしはわかりあえないかもしれないけど、それでも言葉を綴って欲しい私はわがままですか。
まさかこのblogを見てて、怖気付いたのかもしれないけど、SNSを辞めると言ってたのにInstagramばかり更新して、そちらに長文を書くのはいささかつまんなくありませんか?
そんなこと言うのも私の身勝手なんでしょうね。
でもいいの、ここなら傍若無人にもなる。
いつぞや、私は彼に手紙を書きました。
何枚か忘れたけど、数枚に渡るその手紙を読み聞かせるため、私は彼に手錠をかけました。
別にまた暴力を振るわれるとは思っていなかったけど、ただ聴かせたかったの。きちんと。邪魔されることなく。
その中で朗読したのが、『水滴チューリップ』という小説。
小説といっても少し戯曲ちっくで。ときたま朗読劇もやりました。
私はこの小説が大好きで。
2015年かな、同人文芸誌「東京荒野」の創刊号に書き下ろしたもの。
当時の私がそれはそれは瑞々しく投影されている。
またこういうもの書きたいね。
現在地がどこなのかはわからない。
かつてのnoteを読んでると、よくここまで持ち直したなと感心する。
そしてまた、あの頃の私にも感心する。
はっとすることが書いてある。
ーーー自己肯定感は人生をスムーズに過ごさせる最大の潤滑油。
ーーーもう惰性に妥協してぼんやりとだらだらと生きていくだけだと思ってました。でもこうも嵐は起こる。大どんでん返しがある。青天の霹靂。
自己肯定感についてはもうこの頃気づいてたんだっていう感嘆。
そして後者は、この時もそんな風に感じていたんだっていう驚き。
それぞれ今と同じこと考えている。
ただこの時は私に芝居があった。芝居をどんな形であれやり続けていた。
それが今との最大の違い。
どうして一番やりたい芝居をやり続けられなかったのか、いま出来ていないのか、もちろん理由はあるのだけど、そこに忸怩たる思いはあるわけです。
でもね、気づいちゃったの。
芝居をやり続けていた世界線の私がいたら、すごい羨ましいと思うけど、でも逆もそうなんじゃないかな。
向こうの私も、こっちの私を羨んだんじゃないかしら。
蔦屋でサブカルコンシェルジュとして好き勝手に仕事して、芝居はできてないけどやりたいことやって、いろんな人、それこそサブカル界をはじめとした夢のような人たちに出会って、いろんなものに恵まれて。
もちろん叶ってないことの方が多いけど。
一方、向こうの私は芝居を続けてるだけで、他のことはうまくいかず、その芝居さえ惰性になっちゃってたりしたら。激しくこの私を羨ましく思うんじゃないかしら。何も芝居だけの人生じゃなかったよねって。
そんなことを不惑写真展でちょっと思ったんです。
まあそれでも食らいついていたかったけどね。
そしてまた諦めたわけではないけどね。
私にはかつてパラワルワールドという思想があって。これに支えられて生きてきました。
でも言問う処女という、私にとっての311のような芝居で、それを題材にしてしまったから、ネタにして切り売りしてしまったから、私の中にパラレルワールドはないのです。
一番大事なものだったかもしれないのにね。
「あたしはいつだって パラレルワールドと隣り合わせに生きてきました
幾千幾万もの平行する世界 その世界ではこの世界で叶わなかったことも叶ってる
だからせめてこの世界では この世界のあたしとして全うして生きていこう
そう思うのです」
いろんなことをパラレル送りにしてきました。
そうすることで救われたし生きてこられた。
一番パラレル送りにしたくなかった片思いの君も、今ではもうパラレル送りです。
もしかしたら芝居のことも。
そう思うとこの世界は奈落だね。
地獄。
これ以上どうにもならない、どんづまりの所。どん底。
劇場で、舞台や花道の下にある地下室。
つまり上がるだけ。
でも、私の奈落は決して地獄ではない。ぬるま湯。
ただ、どんづまりだし、舞台の地下室であることは間違いない。
そんな奈落で踊るように、出番を待ちながら生きていきたい。